『これが私の人生設計』
監督)リッカルド・ミラーニ
出演)パオラ・コルテッレージ、ラウル・ボヴァ *公式サイトはこちら
あらすじ)イタリアの小さな田舎町で生まれたセレーナは、子供の頃から画才を発揮し、世界的な建築家として活躍していたが、アラサーとなって新たな人生を生きようと故郷イタリアへ戻る。
ところが、失業率の高いイタリアでは男性優位の壁に阻まれてロクな仕事につけない日々。レストランのセクシーなオーナー フランチェスコに恋をしても、自分に優しいフランチェスコがゲイだと知り、叶わぬ恋に悶々とする。
そんな時、広大な公共住宅のリフォーム案を募集していることを偶然知り、セレーナは応募を考える。しかし、保守的なイタリアの建設業界では女性の案が採用されることはありえず、追い込まれたセレーナはある大胆なウソをつく……。
2016年3月12日 新宿ピカデリーにて鑑賞
昨年、日本のイタリア映画祭でプレミア上映された時は『生きていてすみません!』(原題“Scusate se esisto!”)、本公開では『これが私の人生設計』という邦題。
『これが私の人生設計』―ポジティブで、ワーキングウーマンの心をとらえそうな邦題だが、主人公セレーナの懐は広く、この映画から笑いと元気をもらえるのはワーキングウーマンにかぎらない。主婦だってシングルマザーだって、女性にかぎらず男性だってゲイだって、セレーナはみんなを勇気づける。時に「生きていてすみません!」と肩身をせまく思うような気分も、笑いと行動でセレーナは吹っ飛ばす。
“仕事に恋に悩めるアラサー女子の奮闘”という感想ではおさまらない、スケールの大きい作品だ。
これぞと思った男性が、実はゲイだった。その恋の行方は? 眼鏡のモヤシ男もセレーナに興味を持っているようだし。……
と、恋の結末を書くのは野暮なので、好感のもてるラストが待っているとだけ書いておく。
恋に限らず、セレーナが奮闘の結果に築く人間関係はとっても素敵で、観ている側も幸せな気分になれる。
イタリアのロマンチックコメディといえば、シェリーとニコラス・ケイジの『月の輝く夜に』(1987年)も面白かったが、『これが私の人生設計』は恋だけではなく、「仕事」についてもあらためて考えさせてくれる。
セレーナが働くイタリアのオフィスでは、『ゴッドファーザー』風のイカツイ無能なボスが有能な女性秘書の献身的な支えによって仕事を動かしている。女性の公私にいたる気遣いは素晴らしいともいえるが、一人では何もできない無能なボスが手柄を独り占めにし、ボスが不機嫌にノーと首をふればすべてが止まってしまう、硬直化した保守的な組織になっているのが実態なのだ。
セレーナはそうした男性優位の建設業界の中で、公共住宅のリフォームプロジェクトを成功させるべく、大胆なウソをつく。フランチェスコの「運をつかめ!」という言葉に励まされ、(ありえない)捨て身の戦法に出る。
その後の展開が面白い!ウソの中に大阪や寿司が出てくるのも、日本人の私としては嬉しかったりする。何かにつけ大袈裟な演出の、イタリアのユーモアセンスはもう「たまらん」!
詳しくは書きません。女性も男性もぜひ観てね。笑えることまちがいなし!
大活躍のセレーナの視線がうんと優しいのも心動かされる。
広大な公共住宅は、住居者にとって住み心地の悪いものになっていて、セレーナは「緑の空間」という共同スペースを設け、そこで若者も年寄りもくつろげるような設計を考える。公共住宅に暮らす若者たちは一見ナイフでも突き出しかねないワルにみえるが、彼らでさえセレーナは味方にしてしまう優しさがある。
そして、金儲けしか考えず、住人の住み心地をないがしろにして商業施設を誘致しようとするボスにセレーナは「ノー」とはっきり突きつける。その度胸と自信はブラボーだ。
ちなみに、この映画はローマ郊外に実在する公営住宅コルヴィアーレで採用された女性建築家グエンダリーナ・サリメイのリフォームプラン「緑の空間」にヒントを得て作られている(『これが私の人生設計』公式サイトより)。興味深い話だ。
最後に、この映画を観たらパスタが無償に食べたくなった。セレーナが茹で上げたパスタを皿に盛る姿が無器用そうだったな……。あれが案外、愛される理由かもしれない。
運は行動と心意気が呼ぶ。みなさんも食べて、笑って、駆け回って運をつかみましょう!